夫がこの世からいなくなった、当時の記憶を振り返る
今から8年前の晩秋のことでした。
マサ(夫)が自〇したことで、警察署へ呼ばれての身元確認から始まり、何度も事情聴取をうける。まるで私が殺人犯かのような取り調べだ。
事件性は無い、と判断されたのに何日かかっただろう。もう、このへんの記憶は曖昧だ。
マサは、私と別れる選択肢は、はじめから『無かった』
彼が自ら死を選ぶことで、私の心に【無限大の、一生治らない傷】を作ったのです。
それが、彼の屈折した『命がけの愛のカタチ』だった。
私は、いったいどうすれば良かったのだろう。どういう選択をすれば、夫は死なずに済んだのだろう。
8年経った今でも、自問自答しては、見つからない答えに絶望する。そんな日々の繰り返しです。
夫の葬儀は内々だけで済ませました。周りの人に死因について聞かれても、終始曖昧に応えました。
私の反応をみて、自〇したのだ、と察知した人もいましたが、その人たちが「あることないこと」を事実のように言いふらし、噂の的になった私たち家族は、今の場所に居続けることができなくなりました。
当時住んでいた場所も離れ、私は身元を隠すように『旧姓』へ名字を戻しました。
娘たちは二人とも小学生になっていて、突然の父親の死と転校・引越しと怒涛の環境の変化に対応するのに必死な様子でした。
母親として、この状況の娘たちをどうフォローしたのか、このへんも記憶が曖昧ですが、
泣いたり悲しんだり【取り乱す】様子を娘たちに見せることをしないよう、気を張っていたことだけは覚えています。
『娘たちを守れるのは、母である私一人。私一人で、愛するこの子達を立派な大人に育てよう。』
母として、揺るぎない覚悟をしたのでした。
だけど、
自分のせいで夫は死んだ。こんな最低な人間に育てられる娘たちは、いつか、この事実を知るときがくるのか。
事実を知ったら、きっと軽蔑され、もしかすると絶縁されてしまうかもしれない。
その事実を知られることが、当時は一番怖かった。そして、今現在も、それを知られることに怯えている日々を過ごしているのです。